ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」 ~絵画史上もっとも有名な美少女の数奇な運命~ [歴史・人物]
ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」
おそらくこの絵を見たことのない人はいないでしょう。
絵画史上もっとも有名な美少女ではないでしょうか。
彼女の名前はイレーヌ・カーン・ダンヴェール(1872 - 1963)。
絵のモデルになった時は8歳でした。
この幸福そうな美少女、その後の運命は…。
ジロラモ・サヴォナローラ ~歴史から姿を消したボッティチェリ~ [歴史・人物]
魔女の軟膏 [歴史・人物]
ドイツのハルツ山地には魔女伝説が多く存在します。例えば…
ある女が引き出しから軟膏を取り出し、それを全身に塗りホウキにまたがって煙突から飛び出した、など。
一見、ファンタジー小説のような荒唐無稽な話ですが、こうした伝説の中にはいくばくかの真実が隠されていることがあります。
現に魔女が空を飛ぶ際に使ったという魔女の軟膏のレシピもいくつか存在しています。
●トクムギ・ヒヨス・ドクニンジン・赤と黒のケシ・レタス・スベリヒユを合せたもの4に対して6の割合でオイルを加え、テーバイのアヘンを加える
●人間の脂肪・ハシシュ・アサの花・ケシの花・ヘレボルス・ヒマワリの種
ケシ、アヘン、ハシシュ…は麻薬として現在も使用されていますね。他にもアルカロイドやアトロピンなど副交感神経に作用する成分の含まれた植物ばかりです。というか、一歩間違えば死に至るような植物も…。
というわけで、これらのレシピから言えることは、強い幻覚作用のある軟膏を体に塗り、ホウキにまたがってあたかも空を飛んだような幻覚を見ていた、ということではないでしょうか。
また、医師であり、錬金術師でもあり、今も本が医学書として用いられるスイスのパラケルスス(本名:テオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム 1493-1541)も興味深いレシピを残しています。
奇蹟の医の糧―医学の四つの基礎「哲学・天文学・錬金術・医師倫理」の構想
- 作者: パラケルスス
- 出版社/メーカー: 工作舎
- 発売日: 2004/11
- メディア: 単行本
↑今も読まれているパラケルススの本
●新生児の肉・ケシ・イヌホウズキ・トウダイグサ・ドクニンジン
これらを煮てどろどろにするというのです。
このレシピから推測されることは…
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン [歴史・人物]
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
( ユリウス暦1098年 -1179年9月17日)
アロマテラピーをする人間にとっては大先輩とも言うべき存在。
ドイツ薬草学の祖とされ、才能に恵まれ、神学者、説教者である他、宗教劇の作家、伝記作家、言語学者、詩人であり、また古代ローマ時代以降最初(ギリシア時代に数名が知られる)の女性作曲家とされ、中世ヨーロッパ最大の賢女とも言われています。
貴族の家の10番目の子供として生を受けますが、8歳のときにライン川支流のえーナ側の近くにあるデジボーデンベルク修道院に入り、後にここの修道院長となります。
この修道院には大きな薬草園があり、ここが彼女の出発点となります。
幼少の頃から神の声が聞こえていたというヒルデガルトの自然観の軸になっていたのは神への強い信仰だったと言われています。
もちろん、神の声が聞こえたなどと言えばジャンヌ・ダルクのように異端と見なされるので、その辺は公にはせず、1141年、『道を知れ』 (Scivias) の執筆を開始し、自らの幻視体験(後の彼女自身の言葉によれば「生ける光の影」(umbra viventis lucis))を初めて公けに表明しました。
その後、1151年に有名な薬学書『自然学』(Physica)を執筆。
内容は自然界における植物、動物、鉱石が人間の身体に与える効用を述べたもので、その数200種類以上と言われています。
相馬黒光 [歴史・人物]
明治43年、彫刻家・荻原碌山(1879-1910)は吐血し、障子や真っ赤に染めながら、その30年の生涯を閉じました。
彼の死後、「女」という彫刻が発見されたのですが、これを見た子供たちは「かあさんだ!」と叫びました。
荻原碌山「女」
この「かあさん」とは…
明治時代にアンビシャス・ガールと呼ばれた相馬黒光(1876-1955)。
左が黒光(インドのサリーを着て)
小学校を卒業後、ミッションスクール宮城女学校に入学したものの、1年ちょっとで自主退学、次に横浜のフェリス英和女学校(現・フェリス女学院)に入学するもこちらも退学。1895年明治女学校に転校し97年に卒業。
翌98年に養蚕事業家として活躍していた相馬愛蔵と結婚しました。嫁入り道具はオルガンと油絵。家財道具は一切持ってきませんでした。
碌山と黒光の出会いは、17歳の碌山が田んぼで写生していた時のこと。
この時から、すでに結婚していた4つ年上の黒光は碌山に芸術や文化を教え、彼の想像力と情熱をかきたてるミューズとなるのです。
碌山が彫刻家になろうと決心したのは1903年にパリに渡り、アカデミー・ジュリアンで学んでいた時のことです。ロダンの作品に出合った時でした。直接ロダンの教えを受けたこともあり、ロダンは後に「(碌山は)フランス人よりもよく理解した」と言っています。
1908年、碌山はパリから帰国します。
そして自分を芸術に進むきっかけを与えてくれた黒光との再会を果たします。
この頃、黒光は夫と共に東京に出店していました。
商売も軌道に乗り、東京での順調な生活が続くはずでした。が、そんな矢先、夫に愛人がいることが発覚します。そんな黒光を支えたのは碌山でした。
碌山は彼女の身を案じ、彼女の店の近くにアトリエを構えました。
碌山と黒光、そして黒光の夫や子供たちも含めた不思議な生活が続きます。
碌山の黒光への同情の気持ちはいつしか恋に変わります。そんな碌山に黒光は、時に甘え、時にはぐらかし…そんな態度で彼の気持ちを翻弄します。
知識も才能もあり、商才もある黒光ですが、時に碌山に甘えて見せる――黒光にはいくつもの顔が見え隠れしました。
ある時、黒光は碌山に文覚上人の話をしました。
武士・文覚は人妻との恋に悩み、夫を殺そうとしたところ、誤って愛する女性を殺めてしまい、それが原因で出家します。
話を聞いた碌山は鎌倉の成就院にその像があることを調べ、黒光を誘いました。
碌山は文覚上人の像を見て、作者自身の歴史が刻まれている、と感慨無量になったといいます。
なぜ、黒光は碌山にこの話をしたのか。そしてそれを聞いた碌山は何を感じたのか…。
そして碌山作の「文覚上人像」「デスペア」といった作品を次々作ります。
この頃、黒光は夫との子を宿していました。
どうにもならない絶望――黒光への思いをある像へ託します。
これが「女」です。
碌山の死後も彼女は本業の傍ら、サロンを営み、芸術家たちのパトロンをしながら80年の生涯を閉じます。
彼の死後、「女」という彫刻が発見されたのですが、これを見た子供たちは「かあさんだ!」と叫びました。
荻原碌山「女」
この「かあさん」とは…
明治時代にアンビシャス・ガールと呼ばれた相馬黒光(1876-1955)。
左が黒光(インドのサリーを着て)
小学校を卒業後、ミッションスクール宮城女学校に入学したものの、1年ちょっとで自主退学、次に横浜のフェリス英和女学校(現・フェリス女学院)に入学するもこちらも退学。1895年明治女学校に転校し97年に卒業。
翌98年に養蚕事業家として活躍していた相馬愛蔵と結婚しました。嫁入り道具はオルガンと油絵。家財道具は一切持ってきませんでした。
碌山と黒光の出会いは、17歳の碌山が田んぼで写生していた時のこと。
この時から、すでに結婚していた4つ年上の黒光は碌山に芸術や文化を教え、彼の想像力と情熱をかきたてるミューズとなるのです。
碌山が彫刻家になろうと決心したのは1903年にパリに渡り、アカデミー・ジュリアンで学んでいた時のことです。ロダンの作品に出合った時でした。直接ロダンの教えを受けたこともあり、ロダンは後に「(碌山は)フランス人よりもよく理解した」と言っています。
1908年、碌山はパリから帰国します。
そして自分を芸術に進むきっかけを与えてくれた黒光との再会を果たします。
この頃、黒光は夫と共に東京に出店していました。
商売も軌道に乗り、東京での順調な生活が続くはずでした。が、そんな矢先、夫に愛人がいることが発覚します。そんな黒光を支えたのは碌山でした。
碌山は彼女の身を案じ、彼女の店の近くにアトリエを構えました。
碌山と黒光、そして黒光の夫や子供たちも含めた不思議な生活が続きます。
碌山の黒光への同情の気持ちはいつしか恋に変わります。そんな碌山に黒光は、時に甘え、時にはぐらかし…そんな態度で彼の気持ちを翻弄します。
知識も才能もあり、商才もある黒光ですが、時に碌山に甘えて見せる――黒光にはいくつもの顔が見え隠れしました。
ある時、黒光は碌山に文覚上人の話をしました。
武士・文覚は人妻との恋に悩み、夫を殺そうとしたところ、誤って愛する女性を殺めてしまい、それが原因で出家します。
話を聞いた碌山は鎌倉の成就院にその像があることを調べ、黒光を誘いました。
碌山は文覚上人の像を見て、作者自身の歴史が刻まれている、と感慨無量になったといいます。
なぜ、黒光は碌山にこの話をしたのか。そしてそれを聞いた碌山は何を感じたのか…。
そして碌山作の「文覚上人像」「デスペア」といった作品を次々作ります。
この頃、黒光は夫との子を宿していました。
どうにもならない絶望――黒光への思いをある像へ託します。
これが「女」です。
碌山の死後も彼女は本業の傍ら、サロンを営み、芸術家たちのパトロンをしながら80年の生涯を閉じます。
アルフレッド・ジュエル [歴史・人物]
AELFRED MEC HEHT GEWYRCAN
側面にはそう書かれています。
現代語に訳すと"Alfred ordered me made"(アルフレッドの命により作られた)でしょうか。
正面から見るとこうなります。
水晶をはめ込まれた部分には、エナメルで男性が描かれています。おそらくキリストではないかと言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。
男性が持っている二本の花が象徴するのは、曇りのない目です。
そして先端部分(下方)は獣の頭部です。これはイギリスがこれから直面する危機を表していると言われています。「これから直面する危機をまっすぐ見据え、立ち向かってほしい」と言わんばかりです。
大きさ6.1cmのこのジュエリーがどう使われていたのかは分かっていません。ブローチという説もありますが、獣の口(?)の部分に棒のようなものを刺していたのではないかと言われています。
これを作らせたアルフレッド(Aelfred または Alfred)とは、一体何者なのでしょう。
蛇蠍と呼ばれた男 イ・イチョム [歴史・人物]
新撰組のように、歴史上の人物というのは、ある一方から見れば悪人だけど、違う見方をすれば英雄だったり、するものですが、イ・イチョムは蛇蠍(だかつ)と嫌悪され、360度どこから見ても悪人扱いです。
『ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男』でもホ・ギュンのライバルとしていい味を出してました。
「ホ・ギュン…」でイ・イチョムを演じたソン・ドンヒョク
しかし、彼の生い立ちを考えれば、同情を禁じざるを得ません。
彼はイ・グクトンの5代後の子孫として、生を受けます。
「王と私」を見ていた方はご存じだと思いますが、にわかファンの私は見てないので…。
詳しくは↓をご覧ください。
http://honmy.blog.so-net.ne.jp/2009-11-22
会ったこともない先祖のために、彼の父も祖父も曾祖父も…みんな、辛い人生を歩むことになります。
イ・イチョムもこの悔しさをバネに、学問にはげみ、神童と呼ばれたホ・ギュンに勝るとも劣らない学力と、文才を身につけます。
そして、豊臣秀吉のごとく、次々に人に取り入って出世し、最終的には時の王・光海君(クァンヘグン)の側近にまで昇りつめます。
いえ、側近というよりは、王を陰で操る権力者でした。
自分の地位の安定のため、王を操り、七庶獄事を起こし、王の幼い弟(異母兄弟)の永昌大君(ヨンチャンデグン)までもオンドルで蒸し殺してしまいます。
最終的にはホ・ギュンでさえも彼の前に、志半ばにして散ってしまいます。
光海君は暴君として廃位されてしまいますが、「ホ・ギュン…」の中では、かなり立派な王でした。しがらみからイ・イチョムに従わざるを得なかったように思います。
光海君を演じる故キム・ジュスン
目の演技が良かったのですが…残念です。
イ・イチョムもその才能をいい方に活かせば、朝鮮王朝の歴史は変わっていたと思います。
わが身の不遇、ホ・ギュンに対する嫉妬、自分の地位への執着が、彼を蛇蠍と忌み嫌われる存在にしてしまったのかもしれません。
『ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男』でもホ・ギュンのライバルとしていい味を出してました。
「ホ・ギュン…」でイ・イチョムを演じたソン・ドンヒョク
しかし、彼の生い立ちを考えれば、同情を禁じざるを得ません。
彼はイ・グクトンの5代後の子孫として、生を受けます。
「王と私」を見ていた方はご存じだと思いますが、にわかファンの私は見てないので…。
詳しくは↓をご覧ください。
http://honmy.blog.so-net.ne.jp/2009-11-22
会ったこともない先祖のために、彼の父も祖父も曾祖父も…みんな、辛い人生を歩むことになります。
イ・イチョムもこの悔しさをバネに、学問にはげみ、神童と呼ばれたホ・ギュンに勝るとも劣らない学力と、文才を身につけます。
そして、豊臣秀吉のごとく、次々に人に取り入って出世し、最終的には時の王・光海君(クァンヘグン)の側近にまで昇りつめます。
いえ、側近というよりは、王を陰で操る権力者でした。
自分の地位の安定のため、王を操り、七庶獄事を起こし、王の幼い弟(異母兄弟)の永昌大君(ヨンチャンデグン)までもオンドルで蒸し殺してしまいます。
最終的にはホ・ギュンでさえも彼の前に、志半ばにして散ってしまいます。
光海君は暴君として廃位されてしまいますが、「ホ・ギュン…」の中では、かなり立派な王でした。しがらみからイ・イチョムに従わざるを得なかったように思います。
光海君を演じる故キム・ジュスン
目の演技が良かったのですが…残念です。
イ・イチョムもその才能をいい方に活かせば、朝鮮王朝の歴史は変わっていたと思います。
わが身の不遇、ホ・ギュンに対する嫉妬、自分の地位への執着が、彼を蛇蠍と忌み嫌われる存在にしてしまったのかもしれません。
ホ・ギュンとホン・ギルドン [歴史・人物]
世間より数年遅れて、私は今頃、韓流ブームです。
初じめて見た韓流ドラマが「快刀ホン・ギルドン」でした。本当にごく最近なんです。
ホン・ギルドンは武術にも学問にも優れていましたが、両班(リャンバンと読みます。官僚のこと)の庶子として生まれたため、その実力を発揮する場を与えられず、時には命を狙われることもあり、最終的には山賊たちと「活貧党」と名乗る義賊になり、仲間と理想郷を作り上げる話です。
ドラマ自体は、最後は原作と違いましたし、15世紀ごろなのに、中国のことを「清(シン)」と呼んでいたりして、少々ツッコミどころのあるドラマでしたが、半ば娯楽と割り切っていたので、楽しく見ていました。
ただ、私は韓流ロビン・フッドともとれるこのストーリーに、どこか儒教ならざるものを感じていました。
まぁ、最近はキリスト教の国になっているから、そのせいかとも思いましたが、原作は16世紀にホ・ギュンという人が書いたものです。
で、そのホ・ギュンに興味を持ち始めたころ、ちょうどドラマ「ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男」が始まりました。
公式ウエブサイト
http://www.koretame.jp/hogyun/
韓国には蛟山(キョサン)という山があります。この山にはこんな言い伝えがあります。
海底に大きな蛟(みずち)が住んでいました。蛟はそこにいれば静かに何の問題もなく過ごせたはずでした。しかし、蛟はあえて荒波の荒れ狂う浅瀬に向かいます。そこで何度も何度も嵐や波にもまれ、やがて脱皮し龍になり天へ昇っていきます。その時に脱ぎ捨てた皮が山になったのがこの蛟山。
ホ・ギュン(1569-1618年)はみずからの号をこの「蛟山」にしました。
初じめて見た韓流ドラマが「快刀ホン・ギルドン」でした。本当にごく最近なんです。
ホン・ギルドンは武術にも学問にも優れていましたが、両班(リャンバンと読みます。官僚のこと)の庶子として生まれたため、その実力を発揮する場を与えられず、時には命を狙われることもあり、最終的には山賊たちと「活貧党」と名乗る義賊になり、仲間と理想郷を作り上げる話です。
ドラマ自体は、最後は原作と違いましたし、15世紀ごろなのに、中国のことを「清(シン)」と呼んでいたりして、少々ツッコミどころのあるドラマでしたが、半ば娯楽と割り切っていたので、楽しく見ていました。
ただ、私は韓流ロビン・フッドともとれるこのストーリーに、どこか儒教ならざるものを感じていました。
まぁ、最近はキリスト教の国になっているから、そのせいかとも思いましたが、原作は16世紀にホ・ギュンという人が書いたものです。
で、そのホ・ギュンに興味を持ち始めたころ、ちょうどドラマ「ホ・ギュン 朝鮮王朝を揺るがした男」が始まりました。
公式ウエブサイト
http://www.koretame.jp/hogyun/
韓国には蛟山(キョサン)という山があります。この山にはこんな言い伝えがあります。
海底に大きな蛟(みずち)が住んでいました。蛟はそこにいれば静かに何の問題もなく過ごせたはずでした。しかし、蛟はあえて荒波の荒れ狂う浅瀬に向かいます。そこで何度も何度も嵐や波にもまれ、やがて脱皮し龍になり天へ昇っていきます。その時に脱ぎ捨てた皮が山になったのがこの蛟山。
ホ・ギュン(1569-1618年)はみずからの号をこの「蛟山」にしました。
王昭君 [歴史・人物]
中国四大美人と呼ばれる女性たちがいます。
川で洗濯する姿に魚が見とれ、泳ぐのを忘れてしまったと言われる沈魚美人 ・西施。
天下を憂いて物思いに耽る姿のあまりの美しさに、月が恥じて雲に隠れてしまったと言われる閉月美人 ・貂蝉。「三国志」でもおなじみですね。
散歩すると庭の花が妃の美貌と体から発する芳香に気圧されてしぼんでしまったと言われる羞花美人・楊貴妃。
そして、故郷の方向へ飛んでいく雁を見ながら望郷の思いをこめて琵琶をかき鳴らした所、彼女の姿と悲しい調べに魅入られて雁が次々に落ちてきたと言われる落雁美人・王昭君。
前漢の元帝(BC75‐BC33)の時代の人です。匈奴の呼韓邪単于が漢の女性を妻にしたいと申し出ます。
そこで、後宮の女性の中から一番醜い女性にしようということで、画家たちに宮女の似顔絵を描かせます。みんな少しでも美しく描いてもらうために画家に賄賂を渡しましたが、王昭君は、自分の美しさに誇りと自信を持っており、賄賂は必要ないと渡しませんでした。
それが気に入らない画家は王昭君を一番醜く描き、匈奴の呼韓邪単于の元へ嫁ぐことになりました。
しかし、元帝が嫁がせる前に一目会っておこうと、王昭君を呼びつけます。そこにいたのは似顔絵とは似ても似つかぬ美女。
そこで元帝は画家たちの不正を知り、その首をはねたと伝えられています。
その後、王昭君は匈奴の地へ嫁ぎます。
夫・呼韓邪単于の死後は遊牧民の慣習に従い、レヴィレート婚(近親婚)をすることになるのですが、「誇り高き漢民族がそんな真似はできない」と拒みます。
最終的には漢王朝の命令により、結婚を承諾するのですが…。
この話には、レヴィレート婚を拒み、自ら命を絶ったという逸話もありますが、フィクションとされています。
詩人・白居易は
満面胡沙満鬢風(おもてにみつるこさ びんにみつるかぜ)
眉銷残黛臉銷紅(まゆはざんたいきえ かおはべにきゆ)
愁苦辛勤憔悴尽(しゅうく しんぎんして しょうすいしつくれば)
如今却似画図中(じょこんかえって がとのうちににたり)
訳)顔は砂漠の塵にまみれ、側面の髪は風に乱れる。眉にはまゆずみが消えかかり、頬紅も色あせた。悲しみや苦しみのため、憔悴しつくしてしまった。今の姿は、あの醜い肖像画そっくり。
などという詩を残していますが、王昭君の内面からにじみ出る気高い美しさは、砂漠の埃くらいでは色あせることはなかったと思います。
川で洗濯する姿に魚が見とれ、泳ぐのを忘れてしまったと言われる沈魚美人 ・西施。
天下を憂いて物思いに耽る姿のあまりの美しさに、月が恥じて雲に隠れてしまったと言われる閉月美人 ・貂蝉。「三国志」でもおなじみですね。
散歩すると庭の花が妃の美貌と体から発する芳香に気圧されてしぼんでしまったと言われる羞花美人・楊貴妃。
そして、故郷の方向へ飛んでいく雁を見ながら望郷の思いをこめて琵琶をかき鳴らした所、彼女の姿と悲しい調べに魅入られて雁が次々に落ちてきたと言われる落雁美人・王昭君。
前漢の元帝(BC75‐BC33)の時代の人です。匈奴の呼韓邪単于が漢の女性を妻にしたいと申し出ます。
そこで、後宮の女性の中から一番醜い女性にしようということで、画家たちに宮女の似顔絵を描かせます。みんな少しでも美しく描いてもらうために画家に賄賂を渡しましたが、王昭君は、自分の美しさに誇りと自信を持っており、賄賂は必要ないと渡しませんでした。
それが気に入らない画家は王昭君を一番醜く描き、匈奴の呼韓邪単于の元へ嫁ぐことになりました。
しかし、元帝が嫁がせる前に一目会っておこうと、王昭君を呼びつけます。そこにいたのは似顔絵とは似ても似つかぬ美女。
そこで元帝は画家たちの不正を知り、その首をはねたと伝えられています。
その後、王昭君は匈奴の地へ嫁ぎます。
夫・呼韓邪単于の死後は遊牧民の慣習に従い、レヴィレート婚(近親婚)をすることになるのですが、「誇り高き漢民族がそんな真似はできない」と拒みます。
最終的には漢王朝の命令により、結婚を承諾するのですが…。
この話には、レヴィレート婚を拒み、自ら命を絶ったという逸話もありますが、フィクションとされています。
詩人・白居易は
満面胡沙満鬢風(おもてにみつるこさ びんにみつるかぜ)
眉銷残黛臉銷紅(まゆはざんたいきえ かおはべにきゆ)
愁苦辛勤憔悴尽(しゅうく しんぎんして しょうすいしつくれば)
如今却似画図中(じょこんかえって がとのうちににたり)
訳)顔は砂漠の塵にまみれ、側面の髪は風に乱れる。眉にはまゆずみが消えかかり、頬紅も色あせた。悲しみや苦しみのため、憔悴しつくしてしまった。今の姿は、あの醜い肖像画そっくり。
などという詩を残していますが、王昭君の内面からにじみ出る気高い美しさは、砂漠の埃くらいでは色あせることはなかったと思います。
MIS-XとMI9 [歴史・人物]
アメリカでロシアのスパイが話題になっているので、今回はスパイにちなんだお話を。
第二次世界大戦中、アメリカにスパイ映画さながらの組織があったのをご存じでしょうか?
組織の名はMIS-X(Military Intelligence Service department X)。
アメリカ陸軍参謀本部のG-2(情報部)の中の一つで、有名なものは暗号解読機関のSIS(Signal Intelligence Service)などがあります。
第二次世界大戦末期、ドイツ他各国に捕えられた捕虜たちと連絡を取り合っていたのが、アメリカ、バージニア州 ハント基地のMIS-Xでした。
MIS-Xの活動の目的とは①捕虜の脱走計画の支援 ②捕虜をスパイに仕立て上げること でした。
もちろん、これは戦争捕虜を人道的に扱わなくてはいけないとされているジュネーブ条約違反です。
捕虜は、本来、すでに一切の戦闘行為から離れているため、一個人として保護されるべきですが、MIS-Xは捕虜をドイツ領内に潜むスパイへと仕立て上げました。
では、いかにして捕虜をスパイへと仕立て上げたか。
それはイギリスから出撃する航空兵へあらかじめ、暗号を教えておくのです。
パイロットから将校、他敵に捕まる可能性のある者、全員にこの暗号を覚えさせました。
彼らの飛行機が撃墜され、捕虜となるのがMIS-Xの狙いでした。
うまく収容所に潜り込むことのできた兵はすぐさま、MIS-Xに情報を送ります。
そして収容所にいる者たちはトンネルを掘るなどして、脱走を企てます。
一方、イギリスにも捕虜を脱走させるための最高機密の部署がありました。
MI6とMI5というのはご存じの方も多いと思います。MIとはMilitary Intelligenceの略で、イギリス国内で活動する部門がMI5、海外で活動する部門が「007シリーズ」でおなじみのジェームズ・ボンドや「パタリロ」のバンコランが所属するMI6です。
実際にはあんなに目立つ人は採用されません。
ジェームズ・ボンド
バンコラン(右下の人)
しかし、捕虜を脱走させていたのはMI9という1940年に設立された部署でした。(MIS-XはMI9を手本に1942年に設立)。
MI9とMIS-Xは捕虜を脱走させるのみならず、スパイとして活用することで意見が一致していました。
収容所ないには暗号作成部門が作られ、そこで暗号の書かれた手紙を作成していました。
手紙は、中立国のスイス→スペイン→ニューヨークの仕分局→ワシントンのボーリング空軍基地を経由し、ハント基地に運ばれ、暗号解読者にわたっていました。
MIS-Xは捕虜たちにドイツ兵と仲良くするように指示し、ささいな会話からも様々な情報を引き出していました。
ヒトラーは脱出を困難にするため、戦線から離れた場所に捕虜収容所を作っていました。
ジャガン大3空軍捕虜収容所もその一つです。
そう、あの有名な映画「大脱走」です。
あの名作の背景にはこんな組織の存在があったのです。
第二次世界大戦後、MIS-XもMI9もなくなり、MI5とMI6に統括されましたが、Military Intelligenceにはもともと19のセクションがありました。
気になる方は↓